2010年05月09日

「敵を作る」ということ/思想の先鋭化(2010年2月)

以下のリンク先は、2010年2月8日に、本館『自由帳で数学とか物理とか』にアップされたものです。


※とりあえず、個別の件についてはもう触れないと以前書いたとおりなので、あくまで一般論で。



リアルで何人かと話す機会がありまして、そのときに出た話題と自分の考えを少しばかり書かせていただきます。

まぁ、世の中にはいろんな人がいるわけで、その中には特定集団に対する敵愾心が非常に強い人がいます。
いえ、それだけなら個人の自由ですので別に構わないのですし、私自身もその手の思考を持ち合わせることは否定しません。
ただ、その考えにすっかり凝り固まってしまって、世界を敵と味方の二元論にはめ込んで考えているような声が、特にネットでは大きい気がします。(あくまで「特にネットでは大きい」であって、リアルでは聞かないわけではないです。というか、リアルでもこれやっちゃってる人かなりいるかと)

このような考えに陥ってしまうと、「自分に反対する奴はみんな○○だ!」という的外れな批判をはじめ、『藁人形叩き』『シャドーボクシング』と称されるような、敵がいないところで延々と見苦しい舞を演じてしまうわけです。
誰かに注意されて直るなら、それは軽症なのでしょうが、とことんこの手の考えを突き詰めてしまった人は、注意した人間までも、その嫌っている○○の一員と認定して、以下悪循環です。

大抵、そういう人の最初の動機は善意であり、義憤です。あくまで、彼らにとっては社会正義であるので、その偏った「自分に反対する奴は〜」という認識に疑問を抱くことは難しいでしょう。
そして、性質の悪いことに、自ら正義を行う者ほど、容赦なくことを行います。しかも、正義を行っている側はいいことをしているつもりなので、自分に酔ってしまい、自分の今の姿を振り返ることは稀です。
(ちなみに、こういう性質があるせいで、集団化すると非常に面倒なことになります。例えば、集団で個人に暴力を振るったり、公共物を破壊したりなどなど……)

さらに問題がややこしくなるのは、こういう偏った考えに陥った人たちに反対する人の中でも、同じ思考パターンに陥ってしまう人がいるということでしょうか。
こうなってしまうと、自分に全く適用されてしまうようなことを並び立てて、相手を非難し、泥仕合になることがかなり見受けられます。
集団になると、群集心理も働いてもう収拾付きません。

そして、「自分に反対する奴は〜」という思考は、思想の純化も生みます。その考えを持つ人の中でも穏健派ややり方に疑問を持つ人を、敵と認定してたたき出すわけですね。これは先鋭化とかカルト化とも言われますね。

先鋭化してしまえば、嫌いだったものは「絶対の敵」になってしまいますし、「絶対の敵」は「自分に反対する者」であるので、世界は「絶対の敵」に支配されたも同然の魔境となるでしょう。本当に、終末思想がぴったりですね。
(まぁ、こういう思考パターンに陥らせて利用しようとする人がいることは否定しませんが)


さて、では、そういう思考パターンに陥らないためにはどうしたらいいでしょうか。

私は、やはり自分を一歩引いたところから観察するか、「正義は人の数だけある」ということを心から理解するしかないのかなと思います。つまり、世の中に溢れる情報、与えられる情報をクリティカル(ポジティヴな意味での“批判的”)に見て、情報の価値判断、有効活用の技術をを身に着ける必要に迫られているのかもしれません。

……とまぁ、結局はメディア・リテラシーになってしまうのですが。

ともかく。ネットの隆盛でこれだけ情報が溢れる状況です。多角的に、批判的に情報に接して、画一的で偏った思考パターンに陥らないようにする必要があるように思います。




なお、この文章に関して、都合よく解釈されるとそれもまずいので、最後に一言。
「これを読んで、特定勢力が浮かんだとしても、それに反対する方もそういう思考パターンに陥っている可能性があります」
これを、どうかご了承くださいませ。


ではでは。

 
posted by 久間知毅 at 14:00| 政治運動一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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