2010年05月09日

「反日上等!」と外国人差別反対デモで掲げるのがなぜいけなかったのか(2009年6月)

以下のリンク先は、2009年6月29日に、本館『自由帳で数学とか物理とか』にアップされたものです。



いしけりさんやPledgeCrewさん、CrowClawさんらのおかげでわかってくださった方はいらっしゃるようです(反省させられた - 真面目なふざけ、適度な過剰)。
ですが、現状でも「デモはなかったほうがよかったというのか?」とか曲解する方もいらっしゃるようなので、もっと噛み砕いて書かせていただきます。


あの場で「反日上等」や日の丸侮辱というものが何を意味してしまうか?

 あのデモは、そもそも「外国人差別反対」のためのデモだったわけです。では、そのデモにおいて「反日上等!」や日本国旗を汚す行為は、一体どのような意味を持ってしまうのか考えてみてください。日本においては、日の丸は日本の国旗だと、明らかに国民は認識しています。いくら少数がこれに反対しようと、事実は事実です。それをあのようなふざけたことをされれば、不快感を持つ国民の数は無視できないどころか、かなりのものになるでしょう。
 また、無意識による差別や、現状の在留外国人の不利益を放置する日本政府をもって、それらに反対するので「反日」と言ったとしても、それをあの場で宣伝してしまうということは、外国人の横で「この人は、日本人はみんな差別主義者だと言ってますよー」と触れ回っている状況だということです。まして、何の脈絡もなしに「反日」という文字を見せられたときの反応も考えてください。下手すると、外国人が「日本人は敵」「日本人は死ね」と言っている、と宣伝するに等しい行為なんです。

 反日がどうだ、日の丸がどうだということは、この場合関係ありません。その行為が意味するところは、「外国人の仮面をつけて、外国人が日本人に明確な敵意を抱いていると宣伝すること」になってしまうのです。
 そうなってしまえば、いくら反日の定義や日の丸の歴史について拘泥したところで、何の意味もありません。その時点でこの日本社会において、ただでさえ立場の弱い在留外国人を窮地に追いやってしまうかもしれないのです。
 片道切符でこの異郷に来た言葉も拙い人が、また不法入国後に生まれたために日本にアイデンティファイしているにも関わらず、言葉も知らない異郷の地へ送られようとしている人が、病気でボロボロになっているのに強制送還されそうになっている家族が、保険がないので満足に診療も受けられないために死に追いやられようとする人が、そんな人たちの日本で暮らしたいという思いが、「反日上等」なる言葉で、日の丸侮辱という行為で、「日本人に敵意むき出しな外国人連中」というレッテルを貼られてしまう。
 レッテルがいざ貼られたら、対話不能とみなされたら、それこそどうなるか。
 いしけりさんら、現場で支援している方は、それはもう粘り強く交渉して、対話して、そうして権利を守っているんです。
 そんな中、訴えていかなければならない「対話可能な人たち」を、「対話不能の彼方」へ、このレッテルが連れ去ってしまう。

 「レッテルを貼るほうが悪い」、「正しいことをしているんだから仕方ない」と言ったとしても、貼られるはずのなかったレッテルを貼らせたということを、免責してはくれません。

 CrowClawさんやいしけりさんが指摘するように、下手すると本当に死んでしまいかねないんです。それほど立場が弱い在留外国人の人もいるんです。心身が不健康の場合もありますし、健康であっても、送還先で迫害される可能性もある。クーデターが起こった国、テロが頻発する国の人なら、もっと危険は上がるでしょう。

 立場の弱い在留外国人に「反日」のレッテルを貼るという行為が、いかに危険か、これでわかってくださったと思います。「反日」の意味や「日の丸の歴史」などは、全く関係ないことを。
 ここにあるのは、対話してもらわなくてはいけない相手を侮辱し、その愛着あるものを汚しながら、対話が可能なんですか? できるわけないじゃないですか。対話の相手を彼方へ追いやってから、こちらの声が聞こえるわけがない。

 だから、私はあの「反日上等」や日の丸侮辱を、『外国人を矢面に立たせて、後ろから石を投げる』と形容したのです。

 自分たちが行う、自分たちのためのデモで、反日を主張するのはいいでしょう。
 また、外国人差別反対デモを行うのも、もちろんいいでしょう。

 ですが、それらを混ぜてしまうということが、どのような結果をもたらすか、少し立ち止まって考えてみてください。

 私は、人権擁護法案、国籍法改正案を調べるとき、そしていしけりさんからの連絡やブログを読んで、現在の日本の在留外国人の状況に愕然としました。
 だから、あの、国旗をうんこにしてニヤニヤしている様や、「反日上等」などを喜んで掲げている様子を見て、ブックマークやブログで「真面目に考えろ」「勘弁してくれ」と書いたんです。

 そこに「外国人をダシにして自分が全能感に酔いたいだけだった」という、在特会と大差ないドス黒い考えで参加した人は、おそらくいなかったでしょう。
 だからこそ書きます。もう少し考えて行動してください。このようなデモでは、いくら人が集まっても逆効果にしかなりません。

 私が批判していたのは、こういうことであって、日の丸を汚したことそれ自体、また反日であることそれ自体ではなかったんです。ましてデモを行ったことそれ自体でもありません。それを批判するんだったらこんな方法をそもそも取りません。
これら批判は、「どっちもどっち」論に落とし込むようなものではないのです。在特会がどうだ、ではなく、そのやり方自体が外国人に対して害になりかねないと言っているのです。

 なので、これを読んだ、まだあの場で掲げられた「反日上等」なるプラカードを正当だと思ってる方に届くように、もう一度書きます。
 自分が何を守りたいのか、何のための行動なのか、一度でいいので立ち止まって考えてください。いしけりさんが言葉を尽くして守りたかったものを、実際に弱い立場に追い込まれている在留外国人の方々のことを、少しでいいからその視界に入れて意見を主張してください。お願いします。
posted by 久間知毅 at 13:55| 『反日上等』問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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