2010年11月20日

軍・警察は暴力(強制力)を生み出す暴力装置である

twitter経由の話題です。極東ブログというところで「自衛隊は暴力組織ではない」というエントリがあると紹介され、twitterの方でも言及しましたが、思いのほか広まってしまってるようなので、ここに記事としてアップしようと思います。

※「暴力装置」については、名古屋大学の大屋准教授のページを参照ください→ 暴力装置 - おおやにき

さて、問題となったエントリは以下の通り。

自衛隊は暴力装置ではない。タコ焼きがタコ焼き器ではないのと同じ。 極東ブログ
自衛隊ではなく国家が暴力装置だから国民は安心して暮らせる 極東ブログ

まず、physical forceの時点で「身体的な力」と訳していますが、これはむしろ「物理的な力」、つまり強制力という意味です。
そもそも、ドイツ語のGewaltには英語で言うとforce, power, violenceの意味。日本語で言うと、権力、支配力、力、暴行、強烈な力、激しさ、自然の猛威……という意味合いがある言葉で、「暴力装置」という語を使う場合、これらは重ねて使われます

これは、Staatsgwalt(国家権力)においても同様で、ともすれば暴力となり得るという風に受け取ります(権力が突き詰めると暴力である、という基本を押さえている人にとっては、常識でしょうけども)。

そもそも、暴力と言っても、外国からの侵攻であろうとテロであろうと犯罪であろうと、有無を言わさぬ暴力に対抗するには、それを上回る暴力でなければ不可能です。暴力にはより強力な暴力でしか対抗できません
しかし、これを国家権力以外が所持していた場合は、もはやその国家は無法地帯となります。暴力に対抗できる圧倒的な暴力が存在しないのですから。よって、暴力は国家権力が独占します。
ここで気付くと思いますが、犯罪組織だろうがテロリストだろうが外国の侵略軍だろうが、その暴力と自国の軍・警察の暴力に、本質的な差はありません。どちらも、人を傷つける、あるいは傷つける可能性をもってわが意を強制させる力を持っています。では、何がこの両者を分かつのか。
それは、合法性です。合法的かどうかという点しか、違いがないのです。この合法性こそが重要で、シビリアンコントロールの下で合法的に暴力を振るうからこそ、我々は法の下で無暗な暴力にさらされずに生活することができるわけです。

仙谷長官については、あの文脈から、この合法な暴力をどうコントロールするか、という問題を取り上げていたわけです。

さて、『極東ブログ』では、国家が暴力装置であり、自衛隊・警察は暴力であるから、暴力装置ではないと書かれています。

しかしながらこの考えは、自衛隊も警察も国家権力の一部であるという点を完全に失念しています。
仮に、自衛隊も警察も、国家権力とは違う暴力であったとしたなら、その時点で国家権力は暴力を独占していない、無法地帯ということになります。これでは今までの議論が無駄になる。

国家が暴力装置であることは確かで、国家が暴力を独占しているのも確かです。しかし、暴力とは物理的に言うことを聞かせるという強制力であり、それを作り出すのは警察と自衛隊です。

『極東ブログ』にあった例えに合わせるとするならば、たこ焼き(暴力)を作り出すのはたこ焼き屋(国家権力=暴力装置)です。しかし、何を使ってたこ焼きを作るかというと、たこ焼き器(自衛隊=暴力装置のひとつ)です。

つまり、『極東ブログ』の筆者は、国家権力のGewaltの意味そのものを誤解したままで、暴力を独占するとうい状況も誤解しており、そのため、あのような見当はずれの例え話を作り出したのだろう、と考えます。



【追記】
私のエントリは取り急ぎアップしたのでいろいろ至らない点がありましたが、同じエントリについての反論記事をhokusyuさんがアップしてくださっていました。より参考になると思いますので、以下にリンクを貼っておきます。

とあるアルファブロガーのSophisterei(詭弁)――あるいは正統的な暴力も暴力であることについて - 過ぎ去ろうとしない過去(hokusyuさん)

 
posted by 久間知毅 at 21:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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